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10 15(水)
身の丈:She is smaller than me.
[ 五次元的思考之蒙昧:Diary]
「いつもと同じにする」というのは、一定のパターンさえ確立してしまえば、それはとてもラクだし、安全のように思える。
たとえばファッション。
「これまでずっと○○な服を着ていました(だから今後もそうする)」というのは、ラクだし、自分で見ている分には(見慣れているので)不安もないし、これまでの服も着回せるし(笑)、困ることは無さそうだ。
ただ、ここには大きな落とし穴があって、そもそもその服が「似合っている」かは本人の主観に限られる。それに「もっと似合うものがある」かどうかは、チャレンジしない以上、まったくわからない。人のことは言えないが、チャレンジしないような人は、雑誌を読んだり他人の服装を気にしたりはしないので、チャレンジしよう、などとはそもそも思わないのだ(笑)。
この「いままでと同じ」というのを「みんなと同じ」と置き換えても、この話は成立しそうだ。「みんなと同じにしてさえすれば、大丈夫」。それが似合っているかどうかは自分は判断しない。似合いもしない、みんな似たような格好をしている人って、多いよね。ギャルとかさ……。あれ、本当に自分が似合っていると思っているのだろうか。同じような話に、モデルをまねて立てロールにしている娘とかね。立てロールにしても貴方はエビちゃんじゃありませんから!って、誰か言ってあげないといけない。
そうそう、別にファッションのことを言いたかったわけではないのだ。
自分の身の丈を考えて、自分にあったスタイルとはなにか、最適なスタイルはなにか、ということを、今の固定観念を外れて考えると、生活がより豊になるのではないか、と、思ったのだ。もちろん、着るものもそのひとつだが……。
身の丈以上のことをしようとしたり、身の丈を削って清貧を気取るのは好きではない。かといって、着た切り雀の様相もよくない。まして、自分の来ているものと同じガラのシャツ(スタイル)を他人に押しつけるのは愚の骨頂というものだ。人をうらやみ、そのシャツをもらってくるのも同様。もちろん、人の着ていたシャツがとても気に入って、似合うと思ったので自分も着てみた、というのはあるだろう。似合っていれば、真似をしている、などとも言われないだろうし。
もちろん、言うは易く行うは難し、だ。
投稿者 ogre : 2008年10月15日 21:32
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