05 30(金)
次世代
[ 五次元漂流:Net, 五次元的思考之蒙昧:Diary, 林檎狂想曲:Mac]
林信行に聞く、iPhone日本発売はいつ?(前編)を読みながら、本当にiPhoneは日本に上陸するのか、その意味があるのか、を考えていた。
iPhone自体の上陸については、ドコモ優勢と思われていたのが、ここへ来て「やっぱソフトバンクかもしれない」などという話が出てきて、待っているファンをやきもきさせている(そんな今日、ソフトバンクの株価は大きく上げた)。もちろん、状況証拠から「やっぱドコモだろう」という声があるのも事実で、ホント、落ち着かない。
とはいえ、iPhoneの上陸が日本の携帯文化を変えるか、というと、そういうことはおそらく無いんじゃないだろうか。iPhoneは、iPodTouchにせよ、とてもオシャレでユカイで便利なガジェットではあるのだけれど、それは明らかに「PCのダウングレード」としての携帯電話に過ぎない。iPhoneが「フルスペックの」MacOSXを搭載しているのが、その証左だ。iPhoneは、「携帯電話型のPC」であって、「PCのようなことができる携帯電話」でもある。しかし、その「携帯電話」という中に、日本の「ケータイ」は、含まれるや否や?
日本のケータイが特異な文化を築き、コミュニティを形成しているという事実は明らかだ。フィルタリングやら小学生にネットは早いだ、そういう、理解不能なものは使わせない、という大人の理論でそれらの文化は風前の灯火に見えるが、まあ、しかし、規制されればやりたくなるのが心情ってもんでね……。それらは決して無くなることがないだろう。
これからの携帯電話市場は、そういった「ケータイ」の文化に慣れた世代が、就職し、可処分所得を手にするようになった時に「欲しい」と思うモノでなければいけないだろう。そのニーズに合わない限り、iPhoneなどは、ただ高いだけの、「ケータイ小説が読みにくい」端末である、という立場に甘んじるしかない。
iPhoneが日本に登場したとき、二つの方向性がある。
ひとつは我々のような、「ケータイ世代」より上の世代であり、その中のギークで、アーリーアダプターである層が飛びつき、その後はさしたる広がりもなく継続する、というところだ。販売台数があっというまに天井になり、収束していくだろう。
もうひとつは、いよいよ好きなケータイを買えるようになった「ケータイ世代」が、iPhoneとそのサービスに新時代の到来を予想して購入する、というパタンだ。iPhone=PCという図式から考えると、ケータイ世代が大人になってPCを使うようになるか?という、もっと大きな問題の一部ととらえることが出来る、かもしれない。
しかし、我々は、ケータイ世代がケータイより広いコミュニケーション手段を(自分の意志と財力で)手に入れることができるようになったとき、彼らがそれを使うか、使わないか、使ったとして、どのように使うのか、を、まだ知らない。
生まれたときにはファミコンがあり、物心ついた頃にはケータイがあった世代、そういう世代がiPhoneにどのような興味を示すのか(それとも示さないのか)、その当たりに興味がある。
【2008/06/04追記】
ニュースリリースの下書きらしき流出映像キタ。
日付が入ってなかったりとか、スゲェ怪しい(笑)
投稿者 ogre : 2008年5月30日 23:42
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