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2007
05 08(火)

フロン:岡田斗司夫

[ 二次元的行間之隙間:Book]

フロン―結婚生活・19の絶対法則
岡田 斗司夫
幻冬舎 (2007/02)
売り上げランキング: 108320

かつて「オタキング」の名をほしいままにした岡田氏による、恋愛、結婚、育児、そして家庭に関する「実用書」しかし、その辺の実用書のように「○○すればダンナの浮気はピタリおさまる!」とかという、類のものではない。

タイトルについて、岡田氏は、

「フロン」とは、婦論であり、夫論であり、父論です。【まえがきより】

と述べている。岡田氏自身、「男性向けに書いていた筈が、女性を対象にしなければいけないことに気付き、家庭や育児、夫婦、結婚、恋愛について問題にしなければならなくなった」というようなことを述べている。
また、対象の読者として、

結婚に踏み切れずに迷っている恋愛中の女性や、育児奮闘中の女性、離婚を考えている女性(と、相手の男性)【同】

だとしている。
個人的にはこれに、

  • 結婚していて(もしくは子どももいて)、幸せなはずなのにいまいち実感がない。
  • 結婚したい(子どもが欲しい)が、どうも表現しにくい(生活上の)不安がある。
  • 今の家庭生活にそこはかとなく疑問・違和感を感じている。
  • とりあえず何でもいいから結婚したい。しなければいけないような気がする。

といった感じの人にもお勧めしたい。
もっと個人的に三十余歳独身パラサイトからすると、なんとなく持っている「結婚なんてしない方がいいんじゃないか?」という、漠然とした気持に明確な理由付けを与えてくれる本であり、周囲からのプレッシャーに対する論理的防衛手段のひとつとなる本だった(多分、それは、作者の意図とは違うと思うが(笑))。

あなたが今すでに結婚されていて、子どもがいたりするかもしれなくて、幸せで、特に疑問も持っていない

岡田氏はこの本の冒頭で、「安らぎのある家庭/家庭は安らぎの場である」などというのは幻想に過ぎず、ホームドラマに出てくるような「幸せな家庭」を築くことは大変困難なのであり、普通はあり得ないのだ、と看破してみせる。そのような「幸せな家庭」が自然発生し、維持されるような社会的システムは既に崩壊しており、そのような「幸せな家庭」の構成要素であった「何でも知ってるお父さん」「貞淑で控えめなお母さん」は、もはや家庭にとって理想的な「職業」ではないのだ、と。
もはやこれだけで、岡田氏がどれほど困難な道を切り開こうとしているかわかると言うものだ。岡田氏は、一般的な「理想的な家庭」というものが既に時代に即しておらず、それを目指そうとする試み(普通の夫婦・家庭はそうするだろう)は不幸しか招かない、ということなのだ。
これは「理想の家庭」が持つイメージ対する攻撃であり、反発は必至であろう。しかし、この段階ではぐっとこらえて、ぜひ先を読んで欲しい。しかも岡田氏の論理は明白で、単身者の自分でも「まあ、そりゃそうだよな」と頷いてしまうところが多い。感情的に反発するのは、理性的な人間のすることではない。

岡田氏は、同じように、現在の結婚のスタイルが既に限界であること、更にさかのぼって恋愛が持つ価値の変容について語る。森永卓郎氏のモデルを取り込み、「オンリーユーフォーエバー」という価値観が幻想でしかなく、女性を(結果的に)不幸にするものである、と論じる。
そしてこの2つが交わるところには、恋愛→結婚という、一見当たり前であり、理想であったはずのパラダイムが、理想どころか不幸を呼ぶものでしかない、という、驚きの結論だ。

家庭が(あるいはそれを構成する夫、そして(特に)妻が)壊れてしまうそもそもの原因がそこから始まっている、と……。そんな間違いだらけの状態で育児がうまくいくはずもない。かといって最初からやり直すわけにはいかない。出来ることは家庭のリストラクチャリング(再構成)。キーワードは、「(普通の)父親が一家の大黒柱である必要はないし、なれないし、むしろなってはならない」。

導き出される結論、あるべき論としてのライフスタイルは、おそらく批判の矢面に立たされるだろう。しかし、これを批判する旧来の価値観(たとえば「オンリユーフォーエバー教」)ならば人を幸せにできるのか?といえば答えはNOだ。それら、過去に恋愛・結婚・幸せな家庭、を維持していたシステムがいかなるものだったのか、今はなぜそれらが機能しないのかも、岡田氏は明確に語っている。

後半で、岡田氏は、「家族」を「子ども+夫婦の核家族」と定義して論を張っている。「子どものいない夫婦は家族ではなく、同棲と同じ」というのは、さすがに言いすぎだと思うのだが……。
中盤まで夫婦・恋人・男女の関係にフォーカスしていたものが崩れ、全体的にちょっと論がぼやけてしまった感じがあって、ちょっと残念だ。

(ここからは自分の考えになるのでちょっとしまっておく)

この本を読んでいろいろ考えて、ひとつ、思いついたことがある。
岡田氏語るところの「オンリユーフォーエバー教」が、はたして文化的後付けの問題(ミームの問題)なのか、原初的な欲望としての所有欲・独占欲の表れであるのか(ゲノムの問題)なのか、どっちなのだろうか?この本では、それは論じられていないところだ。というより、明らかに前者であることを前提の論理となっている。
これは微妙だ。同じペアでつがいを続ける動物は人間だけではない。「結婚」という文化が醸成された動機が、プリミティブなものである可能性はある。

逆に、「オンリーユーフォーエバー」という思想は、ゲノムに対するミームの反乱、あるいは、ゲノムに逆らってミームが生き残るための手段かもしれない。
霊長類の多くは力の理論を元にしたボス・ハーレム状態を取ることが多い。独占欲や所有欲(という、ゲノムに刻まれた欲望)を力によって実現して拡大してるケースだ。これを人間には「力でオンナ(達)を囲う」という形に飛躍しかねない。その不均衡(あるいは大多数の弱者側の理論)を制度・社会制度でカバーしようとしたのが現在の結婚制度である、とも言える。その崩壊は、サル山のような、力が支配する、非文化的状態を生み出しかねない。
もっとも、現代では「力=暴力」だけではなく「力=カネ」でもあるので、「まあ、モテたきゃ稼ぎなさいよ」という話なのかもしれないが、これは本田透氏言うところの「恋愛資本主義」に他ならないだろう。

「お見合い」というシステムで家庭が半自動的に構成される時代に、「結婚」とは手段であった。だがその時代は去った。
「オンリーユーフォーエバー」が主題となった恋愛社会において、それは結果・目的となった。併願禁止による志願者の平準化・再配分が行われたが、同時に家庭そのものの崩壊を招いた。
既存の価値観が砂上の楼閣のように崩れ去っていく現代に、男女の、夫婦の、家族の関係はどうなっていくのか?
岡田氏の結論を丸々飲み込む気はないが、しかし、考えて行かなくてはいけない問題だろう。それは社会の有り様を変化させていくはずだからだ。

投稿者 ogre : 2007年5月 8日 02:13



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