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2009
02 02(月)

いまありし、むかしありし:Photo library

[ 五次元的思考之蒙昧:Diary]

週末から引き続き、iPhoto '09で写真をめくっている。
人の顔を求めて、面白がってやっていたものだが、さして友人も多くないみのすがら、そのうち普通に写真を流し始めていた。

このMacBookに入っている、一番古いデジタルデータは1999年。2000年のデータはほとんど無くて、2001年のデータはまったくない。何があったのか、何がなかったのか、まあ、覚えていたいような出来事が全くなかった(もしくは覚えていたくない出来事しかなかった)のだろうと解釈する。その後は次第に数を増やし、ダイビングの写真やラーメンの写真がサムネイルに多くなる。
2004年ぐらいから、写真の枚数ってものを気にしなくなっていたように思う。バッテリの長寿命化とメディアの大容量化・低価格化に拍車がかかっていた頃だ。32MBとか64MBとかをチマチマ使う時代は終わって、携帯電話にだって512MB,1GBのメモリを積むような話だ……。

昔の旅行の写真が流れていく。東京の夜景がブレている。水中は碧く、空に虹が架かり、紅い落ち葉が道を埋める。雨が降り、雪が積もり、花が咲き、誰かが笑っている。

その笑顔の中に、今はもういない人を見つけた。

友人、恩師、大切な人たち。むかしありし笑顔。いまありし笑顔。笑い声が聞こえる。忘れていた声が久しぶりによみがえる。「忘れてんじゃないよ!」と、ふざけ半分の文句を言う。

目を開くと、すぐに消える。

むかしありし、いまはなき笑顔。
ここにあるものは全て失われていく。覚えることなどできない。だから撮り、書く。でも消えていく。それは止めることも無視することもできない。それでも撮る。見れば思い出すから。でも、そのうち、想い出も消える。僕も消える。

ほんのわずかな時間。そのさらにわずかな時間の間だけ、僕は彼らとふれあい、すれ違った。僕以外の多くの人も。
彼らも。彼ら以外の多くの人も。
それを記録し、記憶している時間も、わずかだ。

でも、どんなにわずかな時間でも、僕の時間のいくばくかがそれに費やされたことは嬉しい。
だから彼らが(好むと好まざると)彼らの時間のいくばくかを費やしてくれたことに感謝しよう。
今の出会いにも、これからの出会いにも、いつかは感謝できる日が来ればいいと思う。

むかしありし顔。
いまありし声。

投稿者 ogre : 2009年2月 2日 23:51



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