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2007
12 15(土)

初音ミク「メルト」に大ハマリする。

[ 五次元漂流:Net]

ニコニコ動画の「メルト」に大ハマリ中(笑)

最近話題の初音ミクにオリジナル曲を歌わせたよ、というジャンルで、青春丸出しの歌詞がそんな甘い話なんてなかったオジサンの心も釘付け、ってところか(をい

リンクや検索から辿ってもらうとわかるんだけど、

・恋する女の子の曲(オリジナル)がミクで発表される
 ↓
・それを女性ヴォーカルがカバー
 ↓
・相手の男の子視点の歌詞を作った人がミクとデュオ
 ↓
・女性ヴォーカル版と男性ヴォーカル版をミックスする職人が登場(もはやミク関係なし(笑))
 ↓
・それを第三者視点で見ている(その女の子が好きで失恋している)という替え歌も登場

と、オリジナル発表から数日で、すごい展開だ。
オリジナルがあり、それをベースに広がったものが、またミックスされてくる、というのが、ニコニコ動画特有の展開だ。発散と集合を繰り返しながら完成度が上げられていく。

「初音ミク」を楽器だととらえた場合(発売元はそういう認識のようだ)、才能ある作曲者・作詞者は「自由に歌わせられる女性ヴォーカル」を手に入れて自由に自分の作品を発表することができる(バンドを組んだりする必要もなく、だ)。それが生のコラボレーションに繋がっていくという現状は、ヤマハなりクリプトンメディアなりとしては「してやったり」といったところだろう。

それに、コメント職人の技もスゲェな……。ニコニコ動画では、古いコメントは時間経過で消えてしまうので、まさにタイミングが合わなければ見れない瞬間芸のようなものだ。消えてしまうもの(コメント)にこれだけの労力を費やして「芸」を見せるのも、やはり、日本人の感性というものなのだろうか。

ネットは「エピソード」を拾い上げる場所だけではなく、それを拾った人がまた育て、放流していく。GPLとかの考え方も底流では同じだ。「電車男」の物語が作られる課程にも同じようなことが言える。いまや、物語だけではなく、音楽も同じ時代を迎えた。ネットは時間と場所を超越して人を繋ぐことができる。こういう世界を目の当たりしていると、その物語に参加するだけの芸がない自分が悔しい。

【12/17追記】
・女性ヴォーカル版と男性ヴォーカル版をミックスする職人が登場(もはやミク関係なし(笑))
 ↓
・涼宮ハルヒの映像をMIXしたPVが作成され、デュエット版にあわせて公開される
という展開に。
版権ものという「いつもの」問題はあるものの、「シロウトがPV作れる時間も金もないけど、MADなら可能だぜ!」といわんばかりの仕事の早さに脱帽。初音ミクでは、3DCGのPVが作成されたりしている。
たかがアマチュア、とプロは言うかもしれないけれど、アマチュアの作品で十分満足できるのならば、お金を出して中途半端なプロ作品買う必要はないよね。
ミクが登場したときに誰かが言っていた(書いていた)のだけれど、アマチュアが強力なツールを手に入れ、ニコ動のようなサービスが一般化すると、(隠れた)才能を発揮する道具と発表する場所(ニコ動とか)とが揃ったことになる。するとプロとの壁が低くなってくるのは、そこで起こるのは「中途半端なプロ」の居場所がなくなる、という事態だ。ペラペラな歌詞、平凡なメロディ、歌の下手な歌手、そういったものがどんどん淘汰されてくるだろう。
もちろん、本当に力のあるプロはそんな状態でも生き残るだろう。彼らを打ち負かせるアマチュアは、逆に言えば、その世界で食っていけるだろうから。
システムは、これまでの体制を維持しようとするだろうから、僕らは、ダマされないように、自分たちが何を見たり聞いたり(歌いたかったり)するのか、よく見極めないと行けない。

投稿者 ogre : 2007年12月15日 23:24



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コメント(1)

メルトよか「パヤパヤ」がすきだなぁ

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