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2007
10 07(日)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 evangelion:1.0

[ 二次元娯楽:映漫アニゲー]

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ヱとかヲとか、なんで旧字体なのだろうね。今回の劇場版から受ける印象と、その空気感がつながっているようにはあまり感じないのだけれど(必然性がない、というか)。これも次作「破」でのお楽しみ?

前売り券を買っておいた割には観に行くのが遅くなってしまった。このところ、週末たびに遊びまわっていたから(ダイビングとかフットサルとか呑み会とか)なわけで、十年も経つと、それなりに活動のスタイル・内容が変わっているのだなぁ、と思わざるにはいられない。当時はまだ学生か社会人成り立てで、映画をよく観に行ったものだった(まあ、月に五本十本程度では観たうちに入らないかもしれないが)。


さて、本作だ。あまりペラペラ喋っているとネタバレになってしまうので控えるが、これまで公表されているとおり、物語の大筋はTV放映版、旧世紀劇場版とさしてかわりがない。ヤシマ作戦による第六使徒ラミエルの撃破までが描かれているので、TV版では概ね六話までのストーリーになる。ということはアレがあってコレがあって、ここまでやね……とわかっていただけるだろう。

六話まで、ということは元々30分×6=180分に相当する、ということだ。これを98分に押し込めているのだから、話の展開が超高速になるのはやむを得ない。「ああ、あのシーンが削られた」「あれ、あのエピソードは出ないのか」と、TV版との違いを脳内で補完しつつ観るのが正しいのだろう(そうか?)。まあ、三十分ごとに使徒を撃破している、と考えれば、あまり無茶なペースとは言えないかもしれないが、ドラマ的なところは(補完しないことには)微妙かも。劇場には「どうかんがえてもパチンコから入ったんだよね?」という壮年(老人、かも)の方もいらしてたけど、かなりわかりにくかったんじゃないだろうか。まあ、再販されたDVDボックス全巻見てから出直してこい、ということなのだろうか(ええー)。

抜けたシーンは、どれもTV版や旧世紀版の展開で考えると外せないような重要なイベントばかりだ。我々はそれを脳内で補完しているのだが、しかし、よく考えると、これはシンジと他人との関係性を再構築しよう(Rebuildしよう)という企みなのではないだろうか。
旧世紀版の場合、それが成功していたかどうかは別として、シンジと他人との関係性を(プラスにもマイナスにも)象徴するエピソードが積み重ねられていった結果、あのような結末を迎えたのだと思う。シンジは、結局、「他人」が居る世界を選んだ。たとえ傷つけあったとしても、他人とふれ合える世界を選択した。
しかし、今回、いくつかのエピソードが削られた結果、「破」という課程、そして「急」「?」という着地点におけるシンジと外界との関係は、旧世紀版と異なったものになっている(そしてそれを至極納得して受け入れられる観客がいる)ということにならないだろうか?
もしそうなら、シンジと外界との関係性、コミュニケーションという旧世紀版のテーマのひとつがまったく違うベクトルを向いてくる可能性がある。例えば、あくまで例えばだが、シンジが外界との関係を望まず、本当に「すべてをひとつに」なって世界が終わる、という選択肢も出てくるかもしれない。
まあ、あまり深読みするとハマるのはエヴァの特徴だからもうやめにする。単純に尺が足りなかっただけかもしれないし……。

同一の原画から描き起こされたという絵は、今にしてみるとやや古くさく感じる。デザインというか表現手法というか……。今回はCG手法で制作されているそうだが、良きにつけ悪しきにつけセルアニメの香りをたなびかせている気がする。
その反面、追加カットは異様に手が込んだ作りだ。第三新東京市ののビル(例の、沈む奴だ)のディテール(屋上とか)や、ヤシマ作戦に動員される機器の表現は非常に細かい。逆にそれ以外の絵と乖離してしまっている感じがするくらいだ。このあたりは、「イノセンス」で描かれた緻密な背景や、「パトレイバー2劇場版」で展開する自衛隊の重圧感など、押井守がやってきたことをなぞろうとしているんじゃないだろうか。なんとなくそう感じた。
昔は使えなかった&使う金も時間もなかったと思しき特殊効果を、これでもかとばかりに突っこむことができるのも、現代(現時点)におけるRebuildの効能だろう。TV版を観たとき、シャムシエルにプログレッシブ・ナイフを突き立てた時の効果だったと思うのだが、CG合成された火花の表現に「すごい!」と思ったものだが、今となってはそんな表現は当たり前になってしまった。戦闘シーンをはじめとした特殊効果の多さは、なにしろ以前と比べて全然違うのでよく目立つ。
使徒のCG化もめざましいが、なんと言っても第六使徒ラミエルの表現は圧倒的だ。こればかりは「前からこう考えていた」とは思えない、旧世紀版とはまったくの別物、と言っていいだろう。とにかくそのパフォーマンスは圧巻だ。ただの空中要塞ではなく、コズミック・ホラーの怪物的な恐ろしさがある。
そんな怪物を相手にするヤシマ作戦の展開は燃え燃えだ。やっぱりこの人達は「ワンダバ」が好きなんだろうなぁ、と思った(笑)。
反面、シンクログラフやエヴァの神経接続状況など、多分マヤちゃんのディスプレイに表示されているようなCG、旧世紀版ではアニメの「絵」で描かれた比較的チャチだったものが、本格的なCGによって描き直されているのは、ちょっとやり過ぎて浮いた感じだ。アニメの絵に近づける努力はしているのだが「はい、ここはCGねー」という、鼻につく感じがした。

「音」へのこだわりは鑑賞中からも感じることができた。今回は庵野総監督が音楽監督も兼任されているということをあとで思い出したのだが、それだけの理由・効果はあったといえよう。旧世紀版当時もクラッシックを多用するなど斬新な印象があったが、今回はより鮮烈に、精密になった感じだ。「今、コレが創りたいんだ」という思いが伝わってくるようだった。

というわけで、なかなかとりとめのない感想になってしまったが、本編、そして予告編(サービスサービスゥ)まで、なかなか楽しめる作品だった。それは脳内に駆けめぐる旧世界版、そしてその時代の香りのせいかもしれない。だが、次作の「破」では、そのようなノスタルジックを感じることはもはやないだろう。それは劇中やプログラムの中で(珍しくも)かなり明らかに示唆されている。「驚愕の次回を待て!」といったところだろうか。

次作が楽しみだ。本当に楽しみだ。

投稿者 ogre : 2007年10月 7日 07:27



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