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2006
02 11(土)

夏と花火と私の死体:乙一

[ 二次元的行間之隙間:Book]

夏と花火と私の死体
夏と花火と私の死体
posted with amazlet on 06.02.11
乙一
集英社 (2000/05)
売り上げランキング: 6,735

先日紹介した「GOTH」が思いのほかマイヒットしたので、デビュー作である本作を読んでみることにしました。Amazonの罠にまんまとはまっている、という説もあります。この他にも「きみにしか聞こえない〜Calling you〜」という短編集も読んでいるのですが、この感想は機会があったらまたそのうちお伝えするかもしれません。

さて、この小説もまた集英社ジャンプ文庫で大賞を取ったという冠作品。ライトノベル作家としての乙一氏の原点でしょう。それにしても、この作品が16歳の人間によって書かれた、ということに畏怖さえ感じます。だって、16歳ですよ。高校1年生ですよ。まあ、大体そのくらいの年頃って小説めいたものを書いたりするかもしれませんが(自分もその例に落ちないわけですが)、それが発表したり応募したりする水準のものか、というと話は別です。しかもこの物語、構成からしていろいろな小説をかなり研究した(少なくとも読み込んだ)雰囲気がして、キョービの16歳はどうなっているのか、と震撼足らしめるものがあります。(まあ、そんなことも既に5年以上前の話になっているのですが・・・)

この本には表題作である「夏と花火と私の死体」と「優子」という二編が入っています。前者が前述の受賞作品。何しろその構成が奇怪で、「死者による一人称」で書かれているのです。それも幽霊とか死体とかではなく、登場人物を追っかける客観的な視点として「わたし」が用いられているのです。小野不由美は解説の中で「神の視点」という表現を使っています。神に「わたし」という属性を与えた、という解釈です。さすがは小野氏ならではの洞察です。途中から見れば客観視点である「カメラ」に「わたし」という属性を与えたようにも見えるのですが、物語冒頭で「わたし」は登場人物としてそこにあり、決して客観視点ではなかったのです。小野氏が言葉に困って(?)神、という表現を与えたこともうなずけます。

そんな、突拍子もない構成上の展開はあるものの、物語は全体的に淡々と進み、「神」の視点になるどちらかというと写実的な登場人物の表現が読みやすさを与えてくれます。(とても想像がしやすい。)しかしその淡々とした語り口の中に、数は少ないものの巧妙な伏線が張られ、最後の展開につながっていく。このあたりはものすごいスピードで読み進み、思わず背筋が寒くなる思いがしました。

文章全体の質感は、若さゆえの経験の浅さか計算しつくされたものかわかりませんが、少なくとも物語を構成する上で意図的に使っていることは確かでしょう。2編目の「優子」では、同じ時期の同作者かと思わせるくらいに印象が異なっています。惜しむらくは大戦後の時代背景が描写などに出ていない(雰囲気が出ていない)ことですが、その叙述トリックは、後の「本格派」への第一歩を(この時点で既に)記しているのでしょう。

荒削りなところもありますが、そこがまたいい。そういう雰囲気を持った作品です。

投稿者 ogre : 2006年2月11日 18:24



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