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2008
09 14(日)

 スカイ・クロラ:(監督)押井守

[ 銀幕是即異次元之扉:Movie&TV]

映画の感想を書こうというのだから、多かれ少なかれネタバレは防げない。とはいえ、自分はこの映画を観た感想を伝えたいのであり、なので、せめて続き部分に詳細を記述することで、判断を皆さんに任せたい。

押井監督は、こうも語っている。

映画は観ただけでなく、語られることで映画として成立すると思っています。映画について誰と何を語るかで、真価が決まるのではないかと。今回はそれを特に感じています。大事な誰かと語っていただければ幸いです」

なので、やはり語ることにしよう。
もちろん、一方的に語っても仕方がないので、コメントしていただいたり、TBしていただいたり、あるいはリアルで話をしよう。
その前提として、もちろん、スカイ・クロラを多くの人に観てもらうことが重要だ(それが一番難しいのでは(笑))。

その前に、この作品以前の押井守監督の代表作について、その変遷を1行ずつで考えてみよう。

「ビューティフル・ドリーマー」では、いつまでも続く祭りの前の1日を描き、現代のモラトリアム志向を指摘した。そのきっかけは好きな女の子がそう望んだからだった。
「パトレイバー2」では、日常に打ち込まれた「戦争」の楔を描き、しかし眼前にあるそれすら無視する日常を描いた。
「イノセンス」では、疲れた男の日常に異物としてあらわれる女性(素子)を触れえぬ存在(守護天使)としてあらわした。

そして本作では、自らは日常を繰り返すことを選び、愛する女性を明日へと送り出す男を表現した。

その何れもが、押井守が望む世界であり、押井守が夢見る恋愛の姿なのだろう(時間軸で変化した、とも言える)。

なにより押井守の心の叫びだろうか。「僕はここにいるから、貴女は前に進め」。女性にとっての子どもを生むという行為を、(強制的な)成長、大人への脱却として捕らえているのだろう。
幸か不幸か、男にはそれがない。だからいつまでたっても子どもだ。そして、そうでありながら(逆説的だが)「大人の男」にあこがれ、敵意を燃やす。しかし子どもはいつまでもそれを乗り越えることはできない。突っかかって行ったって、完膚なきまでにボロボロにされるのがオチだ。
大人の男は、突っかかってくる生意気な「半成り」に容赦しない(ましてや女がらみじゃね……)。至近距離から、大口径モーターカノンの一連射を上から下まで満遍なく叩き込む。それが現実だ。

ヴェネツィア映画祭に招待されるに当たり、「ピーターパン」と呼ばれた押井監督であるが、本作はまったくその表現が当てはまる作品だ。もっとも、大人にならないのはピーターパンだけで、ウェンディは子どもを生んでおばぁちゃんになっちゃうんだよね(笑)。男の子は誰でも心にピーターパンの要素を持っている。ついでにカネも持っていると、マイケル・ジャクソンみたいなことになるのかもしれないが・・・・・・。
そういえば、「大人になったピーターパン」を演じたのはロビン・ウィリアムズだっけ?まあ、子どもみたいな感じだよな(失礼な)。

押井守は「若い人たちの共感を得たい」というような発言をしているが、実は僕様らみたいない独身貴族、あるいは恋愛もしないヲタ族にこそ向けられている言葉なのかもしれない。「オタク」を否定しにいった庵野監督みたいなところもあるのか。ただ、押井監督の場合は、「自分もそうだ」自覚的なところもあるのかもしれない。まあ、いつまでも少年なのは、心だけですけどね。


さて自己を見つめなおしたところで(笑)、物語のもうひとつの見所である、飛行機の話をしよう。

以前、クカイ・イクリプスの特装版を紹介したときに、震電散香のプロペラが二重反転になっていることを説明した。
それにしても、スカイリィも二重反転プロペラとは、この世界のエンジンはよっぽど強力なのだな。挙句にモーターカノン搭載だとお?(多分120mmぐらいのゴッツイのだ)。どんだけ複雑なシャフト構造なんだろうか。もしかしたらティーチャ機の特種装備なのかもしれない。あの戦法での超接近戦のためには、翼の豆鉄砲では照準点が遠すぎて役に立たないだろう。
二重反転プロペラでは回転トルクが相殺されるから、ストール・ターンをするときの倒れ込み方向を、自分のヨーイングで決めやすくなるかもしれない。

複雑といえば、墜落する散香からの脱出シークェンスでは、ちゃんとプロペラを爆発ボルトでトバしてから脱出してた。脱出時に時期のプロペラに巻き込まれる危険性はプッシャの問題点の一つなのだけれど、それもちゃんと解決しているわけだ。プッシャに二重反転、その根元に爆発ボルト。技術力高いな(笑)。

登場する航空機についてもう少し。
散香が震電っぽいのは前にも書いたところだけれど、スカイリィはなんといっても逆ガルウィングがF4Uコルセアっぽい(笑)。コルセアのほうが、翼面積が大きいかな……(三面図がないのでよくわからない)。
ジェットエンジンがないものだから、重爆撃機も気合でプロペラで飛ばしている。いやぁ、あれは重爆っていうより走召火暴だね……。ガンダムのガウとか、ナウシカのアレ(コルベット、だっけ?)を意識しているとも思えるけど、やはりここはYB-35とかを連想する(XB-35は当初二重反転プロペラだったそーだし)。ただし、完全全翼機というわけではない。YB-35にコルベットの尾翼をつけたようなデザインだな。プッシャの重爆撃機、というジャンルではB-38か。

ディテールに凝っているとはいえ、この世界の本質はファンタジィだ。キルドレやこの戦争の「謎」の一部は、(相変わらず)長回しのモノローグで語られるのだけれど、語られなかった部分、物語の本質となるところの「システム」は、実はどこにも表現されていないし、おそらく「どうやって?」ということが規定できるようなものではない。
世界観としては、おそらくだが、押井守の小説「雷轟(ローリングサンダー)」で描かれた「パックス・ヤポニカ(PaxJaponica)」の世界が下敷きにある。戦争請負起業であるロストック社は、おそらく日本企業かその下部組織であろう。だから兵器も兵士も新聞も日本から「欧州」に送られてくる。でもファンタジーだから、細かなことは言いっこなし……。

そもそも原作が完結しない状態で作られているのだし、なにしろ押井守であるから「原作への忠実度」ということは最初から期待していないし、映画を観てもその感想が変わったわけではない。しかし、物語の根底にあるテーマ、雰囲気、イメージをうまく汲み取り、実にしっかりと提示している。その手腕はさすがだろう。

「これまでに培ったテクニックは封印した」と監督は言う。映像的なテクニック、たとえば独特な透過光の雰囲気であったり、難解な引用であったり、極端な魚眼レンズ的構図だったりだ。しかしやはり真髄は健在。空中戦シーンには効果的なスローモーションがあり、時としてゾッとさせるクサナギの目であり、実際にカメラを使ったかのような視点移動や光学効果もきっちりと織り込まれている。多用しないだけに、かえって効果的だ。
観るものを不安にさせる、余韻を持たせたシーンも多い。

パトレイバー2やイノセンスも傑作であった。この作品は一度見ただけで「傑作だ」と断定できない。たぶん、自分の「観るちから」が追いついていないのだと思う。観終ってから数日だが、何度もシーンを、せりふを思い返し、それについて考えている。たぶん、そうしている間に、自分の中でも評価が定まってくるのではないか。そんな風に思える。

投稿者 ogre : 2008年9月14日 22:28



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